恋って何ぞや?

私の友達は、恋人と長年付き合っている。その友達と恋愛について話していたとき、その友達が「花を摘むのが恋で、花を愛でるのが愛なんだよね〜」みたいな感じで得意げに話していた。相手のことを顧みず自分がしたいようにするのが恋で、相手を思いやって行動するのが愛であるという考えだ。

……は? じゃあ、アイドルを愛でるように推しているのは恋ではなく愛なのですか? 毒親が子どもを搾取して、子どもの人生を摘もうとしているのは恋なのですか? と反論したくなった。こんな反論をしたくなる気持ちが湧き上がるのは、決して、恋人と長年付き合っている友人が羨ましいからではない。いや、実際ちょっと羨ましい。ただ、友人の言説に違和感を覚えたのは事実である。

では、恋とは何なのだろうか。今回は特に、恋と愛の違いから恋について考えていく。感覚論的に話すと、恋というのは破裂した水道管のように、ぶわぁーっと湧き上がるイメージがある。一方で、愛というのはカラッと晴れた日の水面のような、静かで穏やかなイメージがある。ここまで聞くと、「花を摘むのが恋で、花を愛でるのが愛という考えは当てはまっているではないか」と思うかもしれない。確かにそうだが、上記のアイドルや毒親の例を考えると、やはり納得がいかない。やはり、もう少し深掘る必要があるのではないか。

恋や愛を、それぞれが生まれるタイミングや条件から考えてみよう。恋は若いときにするようなイメージがある。そして、パートナーと過ごす時間が短かったり、関係がまだ浅かったりするときの方が、恋を感じる人は多いだろう。そして、時間が経ったり関係が深まったりすると、愛が芽生えてくるように思える。そのため、愛はより成熟した、大人な印象を持つ。お互いを知り尽くして、良いところも嫌なところも知ってなお、その人に抱く好意が愛なのではないか。つまり、恋は若くて湧き上がるようなもの、愛は穏やかで成熟したものである。

若いときに湧き上がる、という恋のイメージは「あれ」にとても似ている。そう、性欲である。性欲も若いときに、指数関数的に湧き上がるような感じである。そのため私は、「恋は性欲由来のものなのではないか?」と思い立った。人類は繁栄するために生殖活動を行わなければいけない。そして、繁栄をより長く続けていくためには、より良い遺伝子を獲得する本能が備えられている。その際に、顔が整っている、肌がきれいである、筋肉隆々である、若くて子どもを産みやすいなど、良い遺伝子を探すための基準が私たちの中に根付いている。そして、その遺伝子センサーが反応したとき、目で追う、顔が紅潮する、心拍数が増加するといった生体反応が起こるとともに、その人に対してプラスの印象を抱く。このプラスの印象から生じた好意が恋なのではないだろうか。つまり、恋は生殖活動のための遺伝子センサーの賜物なのである。

恋は性欲由来のものではないか、という考え方は、愛を4つに分ける整理に通じるものがある。今回参考にした記事では、1つ目は「エロス(eros)」で、本能的な愛、肉体的な愛など、主に男女関係における愛のことを指すとされている。そして、2つ目は友人間の友情などを指す「フィリア」という友愛、3つ目は「ストルゲー」という親子や兄弟間の家族愛、最後の4つ目は「アガペー」という無償の愛である。私が考えているのは、このエロスが恋にあたり、他の3つが愛なのではないか、ということである。私の考えは、これの派生形なのかもしれない。1

恋は性欲由来なのではないかという意見を述べたが、「恋=性欲」は成り立つのか。私は、そのイコールは成り立たないと考える。なぜなら、顔や身体などの良い遺伝子に惹かれているからといって、それがすべて恋であるとは思えないからだ。道端で見かけるようなかっこいい人・綺麗な人や、テレビで見るような俳優・女優に目が行ってしまったからといって、それが恋とは言えないだろう。また、AVで男優・女優を見て、それに対して興奮しているとしても、その人たちに恋をしている人は少ないだろう。

では、恋と性欲はどう違うのか。つまり、恋人や妻や夫と、その他の良い遺伝子を持つ男女はどう違うのか。一般的に、彼氏・彼女といった恋人や、妻や夫の枠は1つしかない。一方で、好きな俳優・女優・アイドルはいくらいてもいい。そのため、これらの違いは独占性なのではないだろうか。心理的、立場的、身体的なものなのかは人によって差異があるかもしれないが、それらの観点において「相手を独占したい」という思いが恋なのかもしれない。そして今回は一旦、恋以外の相手に対する好意はすべて愛と見なして考える。今回は愛についてあまり深掘りしないが、まだ議論の余地がありそうである。

以上から、「あなたはあの人に恋をしているの? それとも愛しているの?」と聞かれたとき、私たちはどう答えればいいのか。恋が性欲由来で、相手を独占したいという気持ちの表れであるから、「対象の人と性行為をしたいという欲求がありつつ、その人が他の人と性行為していることに拒絶感を覚えるかどうか」が基準の1つなのではないか。こう考えると、アイドルを推すことは必ずしも恋ではない。同担拒否であったり、そのアイドルに熱愛報道が出てショックを受けたりすると、それは恋の領域に入るのではないだろうか。毒親は、一応、好意からやっているが性欲を伴わないものであるため、今回の例だと愛に入るのではないか。

では、NTRは恋と愛のどっちなのだろうか。もちろん現実と創作では違うかもしれないが、現実でもそのような癖を持っている人を今回は考える。NTR癖を持つ人は、相手が他の人とそのような行為をしていることに喜ぶ人である。つまり、独占性の観点から考えると、恋ではなく愛なのか。しかし、これは私見になってしまうが、NTR癖を持つ人は、相手が他の人とそのような行為をしていることに苦しんでいるのではないか。そして、その苦しみに快楽性を求めているのではないかと考える。このような観点から考えると、NTRも立派な恋なのではないだろうか。

では、ドバイの一夫多妻制はどうなのか。はたから見ると、妻は夫が他の女性とそういった行為をしていることを容認しているように見られる。つまり、これは恋ではないのだろうか。ドバイの一夫多妻制を紹介した取材記事では、経済的にも時間的にも平等に愛することが前提とされ、同じ大きさの家を与えることや、複数の妻の家に平等に寝泊まりすることが語られている。2 このような条件が語られているということは、妻側はやはり夫が他の女性といることを快諾しているということではないのだろうか。心から納得しているわけではないが、ルールや文化・経済的な事情といった観点から容認しているのだろう。つまり、一夫多妻制の妻も恋をしていると私は考える。

あらためてまとめると、恋は性欲由来のもので、そのような行為に対して相手を独占したいかどうかというものである。そして、ざっくり言うと、愛はそれ以外の好意である。そのため、花を摘む愛もあるし、花を愛でるような恋もあると私は考える。長く付き合っている恋人がいるからといって、恋や愛についての考察が深まるというわけではないよ。

Footnotes

  1. 「愛」には4つの種類があった!? アガペー、ストルゲー、フィリア、エロス(モチラボ)

  2. ドバイの一夫多妻制は気軽に憧れちゃいけなかった(マイナビウエディングJOURNAL)